いつも何度でも

古河農泊プロジェクト事務局です。
山川家の歴史、敷地のマップを作製しています。
歴史については古河史楽会(こがしがくかい)にお願いしています。
山川家の大きなエピソードの一つに、下記のような事があります。

山川氏は北関東の名族「結城氏」の一族で、「結城四天王」の一家として活躍した武家でした。(中略)
関ケ原の合戦の功積で結城秀康は越前国福井(現在の福井県)に67万石という広大な土地を与えられました。主君結城秀康は福井に引っ越し後、苗字を「松平」に戻してしまいましたが、山川氏は変わらず、主君を支え続け、大阪の陣にも参陣し、大活躍します。戦国最後の大戦である大阪の陣のあと、山川靫負朝次(恩納山川家の始祖と呼ばれる人物)は家族を呼び寄せに恩名に戻りますが、ノルタルジアに駆られたのでしょうか、領地に戻ることはせず、恩名のお百姓さんとして生きる道を選びます。(抜粋)
栄達や武勲よりも、家族と故郷を選び、生きていくことを決めた山川家。当時、侍を止めるという決断は相当ハードルの高い事でしたでしょう。しかしながら、その決断があったればこその、現在の山川家なのです。
家族を愛し、大地とともに生きていく。その生き方を子孫が繋いでいく。質素であり、逞しく、素晴らしい一族ですね。

遠く遠く、果てしない時間の中に生きてきたこの歴史を、ただ、歴史の1ページとしてではなく、その生き方、家族愛を多くの方に伝えたいと我々は本気で願っています。

“閉じていく思い出のその中に、いつも忘れたくない囁きを聞く”
「いつも何度でも」の歌詞にはそうあります。
私たちは“輝くもの”に気づく事が出来ました。なんという幸運。後は心の中に見つけた“輝くもの”を、さらに輝かせる事が、私たちの仕事になります。

モニターツアーでは、“いつもわすれたくない囁き”を感じる事ができるでしょう。その部分を体感していただきたいと願っています。

古河市農泊プロジェクト

茨城県古河市にある築145年の古民家「山川邸」を地域のランドマークとして、様々なイベント、交流、旅などを展開していきます。